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インタビューを見てみよう!

プロフィール

ドラマ

柴田裕基

所属部署
制作センター制作1部
学部学科・入社年
総合政策学部・2017年入社

これまでのキャリア

大学卒業後、新卒で本田技研工業に入社。3年間、宣伝・マーケティング業務に従事。
2017年AX-ON入社後、助監督としてキャリアをスタート。
助監督として6作品ほど携わった後、APに転向。
2021年 TX「らせんの迷宮」でプロデューサーデビュー。
2023年 NTV「ブラッシュアップライフ」で東京ドラマアウォードグランプリ等、国内外13の賞を獲得。
ABC「何曜日に生まれたの」でギャラクシー賞奨励賞を獲得。
「何曜日に生まれたの」スピンオフドラマにて演出デビュー。

AX-ONの志望動機

ドラマ・映画制作をするという夢を叶えるため。
前職では、宣伝という切り口からコンテンツを広告代理店とともに制作。純粋にドラマを作りたいという願いを叶えるためにAX-ONへ転職しました。
AX-ONには、メディアに囚われないコンテンツ制作ができるビジネスモデルに魅力を感じ、志望しました。

学生時代のエピソード

サッカーサークルに所属。サークルの各年代の引退や大会用に、「Motivatiom Movie」と題したドキュメンタリータッチの映像を制作していました。

◀️ 学生時代、友人たちとの映像制作

▲ 学生時代、友人たちとの映像制作

休みの日のすごし方

大好きなTWICEのライブに友人や妻と参戦することが、未来の仕事のエンジンに!

◀️ TWICEライブ、スケジュールが合えば毎年参戦

▲ TWICEライブ、スケジュールが合えば毎年参戦

インタビュー

異業種からドラマの道へ
コンテンツ黄金時代に挑む
「ブラッシュアップライフ」プロデューサー

「やりたいことをやらないと死ねない」
新卒3年で転職、憧れのドラマ制作へ

学生時代から、生活の中心にドラマがありました。原体験のひとつが中学生の時に放送されていたサスペンスドラマです。1話につき5回も観るほど惹かれてしまい、ドラマの面白さに気づきました。高校、大学に入ってもドラマ好きは変わらず、1クールで5本から10本の作品を観ては、友人と感想を話して。そのころからおぼろげではありますが、いつかドラマを作りたいという思いがありました。

就活ではエンターテインメントに関わる仕事がしたいと、テレビ局や音楽業界を中心に受けたのですが、内定が出たのは本田技研工業。運良く希望した宣伝の部署に配属されて、商品の魅力を伝える仕事をしていました。刺激的でとても楽しい日々でしたが、いつかドラマの仕事をしたいというのが頭の中にずっとあったので、宣伝の仕事に向き合いながらも、休日を利用して社外の企画塾に通っていました。転機となったのは入社2年目。広告代理店と一緒に企画したプロモーションが話題になって経済番組にも取り上げられ、宣伝としても成果が出ました。この経験が一歩踏み出すエンジンとなって、改めて自分の“好き”と向き合いたいと強く思いました。やっぱり、やりたいことをやらないと死ねないと思って、転職活動を始めました。

当初、異業種からドラマ制作に転職するのは難しいと思ったのですがAX-ONに出会い、運良く拾ってもらえました。最初の仕事は、すでに撮影が始まっているドラマの現場で、一番下っ端の助監督として走り回っていたら2か月で8キロ痩せました(笑)。仕事はきつかったですが、それよりもドラマの現場にいて、その仕事をしているんだという喜びがすごくあったので、大変ですけど充実していましたね。

「誰かを感動させるためには、
自分が感動しないといけない」

ドラマのプロデューサーとして働く上で、観る人を感動させるためには、まずは自分が感動することが大切だと思っています。
仕事をする上でもたくさんの“感動ポイント”があって、ドラマの脚本が完成した瞬間も感動するし、キャストが決まった瞬間も感動するし、クランクアップした瞬間も感動するし、編集が終わってドラマが完成した瞬間も感動するんですよね。ドラマ作りには本当にたくさんの“感動ポイント”があるんですけど、その中のひとつが撮影の際のリハーサルです。キャストの方々が一生懸命準備してきたお芝居を、最初に見られるわけですから、その瞬間は本当に感動します。ドラマを作っていてよかったと実感するんです。また、プロデューサーを務めたドラマ「ブラッシュアップライフ」の脚本作りでは、取材に力を入れていたのですが、ある仕事やある境遇の方のリアルな声を聞くために、友人を含め人脈をフル活用して、取材相手にたどり着き、脚本の一部となるような貴重な話を聞けた時は感動しました。そして、取材をさせてくれた方と丁寧なコミュニケーションを続けた結果として、ご飯に誘われたりして。そんな関係を築けたことが嬉しくて、また感動しました。

ほかにもドラマや映画、いろんなエンターテインメントを体験して感動することはもちろんですが、自分がプロデュースした作品の反響をもらうと、心が震えるほどの感動を覚えます。喫茶店での仕事中、「ブラッシュアップライフ観た?」「やばいよね!」と話しているのが聞こえてきた時は、本当に泣きそうになりました。ドラマの感想を話すのって、自分が学生時代に友達としてきたことですから、それを自分がプロデュースした作品で体験できたのはすごく嬉しかったですね。一番嬉しいのは生の声ですが、電車でドラマを観ている人をみつけたり、SNSに感想が書かれていたりするのもとっても嬉しいです。

「馬鹿」とは、自分の好きなことをみつけること

自分を「感動馬鹿」としたのは、「馬鹿」というのが自分の好きなことをみつけることだと思っているからです。 実はコロナ禍のステイホーム期間以降料理が好きになったんですけど、例えばカツ丼を作る時、具材がフライパンからご飯の上にキレイに滑り落ちる瞬間に感動するんです。そういう小さいことから“好き”をどれだけ見つけられるかが、すごく大切だと思っています。これは人に対しても、仕事に対しても、日常生活に対しても言えることで。例えば僕の場合アーティストだとTWICEが好き、スポーツだとサッカーのマンチェスターユナイテッドが好き、とかそういうことも含めて、好きな瞬間を見つけることが日常の彩りにもなりますよね。人間関係の築き方も、まずは自分が相手を好きにならないといけないと思っています。だから、ヒトにもモノにもコトにも、いちいち感動して、どんどん好きになる。素直に自分の心を震わせる。感動することは、楽しいし、大好きなことです。

仕事の面では、泣けるドラマにも、恋愛ドラマにも、コメディにも、心震える感動の瞬間があるので、いろんなジャンルの感動を追い求めていきたいですね。それはつまり、良い作品を作りたいってことですけど、例えば良い作品をひとつ作ったとしても、ほかにもたくさんのジャンルがあるし、作品作りに終わりがないのがクリエイターとしてのやりがいかもしれません。一生追い求められるなって。

一緒に働きたいのは「馬鹿」のチェンジができる人

僕のなかでは「馬鹿」って何かを好きになることなので、「〇〇馬鹿」として好きなコトを柔軟に変化できる、「〇〇馬鹿」を毎年アップデートできるような人が素敵だなと思っています。そういう人は様々な情報にアンテナを立てることができるし、仕事のチャンスも回ってくると思います。そして、幸せな人生を送ることができる気がします。
クリエイターとしては、“ありがとう”と言われるような仕事をどれだけできるかが大切だと思っています。ドラマは大所帯でひとつのものを作り上げる作業なので、小道具作りや資料作成、お茶の用意のようなことでも、目の前のキャストやスタッフにどれだけ喜んでもらえるか、そしてその積み重ねが本当に大切なんです。

今はコンテンツ黄金時代

現在、自分の軸となっている仕事は単発ドラマや連続ドラマのプロデュースですが、そこからドラマと舞台やゲームを連動させて、ひとつのエンターテインメントを作る企画開発をしています。さらに、オリジナルドラマを作る企画開発も進めています。オリジナルドラマが実現すれば、漫画化やアニメ化など、展開が広がりますよね。今はコンテンツを全世界に向けて発信できる黄金時代です。チャンスが広がっている今、ドラマ制作を志す仲間が一人でも増えることを願っています。未経験だろうが知識がなかろうが、恐れることは全くないと思います。僕自身、異業種からこのドラマ制作という道に飛び込みましたが、今日もなんとかドラマ制作をしています。その出発点は、ただドラマが“好き”ということだけでした。
それぞれの「◯◯馬鹿」たちが集まって、チームとなり、一つの作品を作る。それを世界に向けて発信して、ひとりでも多くの人に喜んでもらう。そんな素敵な未来を一緒に作れたら、こんなに嬉しい事はありません。

プロフィール

バラエティ

小林哲平

所属部署
制作センター制作2部
学部学科・入社年
メディア学部・2013年入社

これまでのキャリア

入社1年目からバラエティの部署に配属され、バラエティ番組のADやディレクターとして様々な番組に携わる。
YouTube事業やNFT事業を社内で立ち上げプロデューサーとしても活動し、近年では配信系のバラエティコンテンツやメタバースイベントの演出兼プロデューサーとしても活動。テレビだけでなく「面白そう」と思ったものには真っ先に飛びつき、コンテンツ制作に日々励んでいる。

これまでの担当番組
「真実解明バラエティー!トリックハンター」「あのニュースで得する人損する人」「エンタの神様」「たりないふたり」「犬も食わない」「金曜日のソロたちへ(NHK)」

AX-ONの志望動機

自分が入社する前から、テレビ番組以外にも様々な媒体でバラエティコンテンツを作っていて、クリエイターとして色々な経験が積めると思ったからです。
オリジナルの企画書を積極的に作るという会社の風土にも、魅力を感じていました。

学生時代のエピソード

大学時代は幼馴染とコンビを組んで、アマチュアのお笑いの舞台に立っていました。
当時はしっかりスベってましたが、その経験が今の仕事に少なからず活きていると思います。

休みの日のすごし方

芸人さんたちとお酒呑んだり、長期の休みがあれば一緒に旅行に行ったり!(休日平日に関係なく毎日遅くまで呑んでます・・・)

◀️ マカオにて。

▲ マカオにて。

インタビュー

10年連続企画採択
芸人も認める 平成生まれの“昭和のテレビマン”

SNSで若手作家にアプローチ
入社2年で企画書100本

親がテレビの仕事をしていた影響もあって、この業界を志望しました。昼すぎに私服で出かけて、夜遅く帰ってくる親の姿を見ては、子どもながらに“何なのこの仕事”“まわりの親と違うぞ”って感じて。スポーツ番組を担当していた時は観客席で試合を見せてくれたり、バラエティ番組を制作していた時はスタジオ見学をさせてくれたりして、楽しい仕事だなと思っていましたね。あとは、小さいころから自分で遊びを考えるのが得意だったので、アイデア勝負のクリエイティブな世界なら活躍できそうと思ったのも、この業界を目指した理由かもしれません。勉強がそんなにできなかったので、頭の良い人たちと普通に戦っても勝てる気がしなくて、発想力だったら何か通用するんじゃないかなって(笑)。AX-ONは、企画をサポートする制度がしっかりしているので入社しました。

クリエイターとしての最初の目標は、自分の考えた企画が番組になることでした。AX-ONでは企画戦略センターが企画書の書き方を教えてくれますが、自分でも勉強しなきゃと思って始めたのが、若手放送作家との“企画会議”です。SNSで同年代っぽい放送作家全員にメッセージを送って、毎週6人くらいで集まっていました。“この企画面白いじゃん!”“もっとこうしたらいいんじゃない?”なんて話をしてどんどん企画書を書いていたら、入社2年で出した企画の数は100本にもなっていました。

最初に企画が通ったのは、1年目の終わりくらい。「芸能人と結婚する方法」という、一般人が芸能人と結婚するためのノウハウを、実際に結婚した本人から教えてもらうという内容でした。自分の願望を形にしたようなものですが、斬新さが評価されたのかなと思っています(笑)。一度企画が通ったことで、楽しさややりがいを感じて、それからなんだかんだ入社10年目まで毎年1本は企画が通っています。今では馬鹿みたいな量の企画書を書かなくても採択されるようになりましたね。また、時代が変わって、テレビ番組だけでなくイベントや新しいコンテンツの企画も考えるようになりました。当時集まっていた作家さんも人気番組で活躍するようになって、何かあった時に助けてくれる仲間がいるっていうのも心強いです。

芸人との濃すぎる繋がり!?
“昭和のテレビマン”が愛される理由

お笑いが好きなので、芸人さんと仕事をすることも多いです。飲み会で仲良くなって、一緒に番組を作ったり、旅行に行ったりすることもあります。ちょっと特殊な出会いだったのが、NONSTYLEの井上さん。SNSをフォローしたら「ありがとうございます」ってDMをもらったので「AX-ONディレクターの小林です、いつか一緒に仕事ができるように頑張ります」って返信したらやりとりするようになって、さらには誘っていいただいて会うようになりました。それからはディレクターとして一緒に仕事をしつつ、ただただ一緒に遊ぶようになって。実は昨日も朝4時まで一緒にいました。

芸人さんと一緒に作った番組もあります。例えば、とろサーモンの久保田さんから「めちゃくちゃなことをする番組をやりたい」と言われたときに、「テレビ局の枠を買っちゃえば、好き勝手なんでもできますよ」と提案したら、「面白い!やろう!」と話が進んで、実際に30分番組を作っちゃいました。予定では1クール、つまり3か月放送するつもりだったのですが、気合を入れてたくさんロケをしたらすぐ予算がなくなってしまって、4回で打ち切りに。めちゃくちゃですよね(笑)。

そんな仕事のなかで、やらかしてしまったこともあります。YouTubeがここまで流行る前に芸人さんたちと勝手にYouTube番組を作ったら、割とすぐに収益化されてしまって。これは困ったと会社に事後報告したら、たくさんの人に呼び出されてお叱りを受けました。でもせっかくだからとAX-ONの事業としてYouTubeの仕事をやってみるきっかけになったんです。ほかにもめちゃくちゃ怒られたこと、失敗したことはいっぱいありますね(笑)。

芸人さんからはよく“昭和のテレビマン”って言われます。ラジオで言ってくれることもあって、イジりでもあり、誉め言葉でもあると思っています。芸人さんは「お笑い」っていう、自分ではできないようなすごいことをしているので、リスペクトというか愛情は常に持っていますね。自分なりに勉強していますし、芸人さんがスベって見えないようにするバランス感覚を大事にしています。

仕事も遊びも全部全力
「やりすぎ馬鹿」ができるのはAX-ONのおかげ

新しいことがすごく好きで、興味をもったら失敗とかを考えずにとにかくやっちゃうところがあります。新しいことって最初はネガティブな反応をされがちですが、“それが面白いよね”って飛びつきたいんです。そんなところが「やりすぎ馬鹿」だなと思います。あとは、仕事もプライベートも、全てに全力です。飲み会も全力で参加するし、企画書も全力で書きます。YouTubeもメタバースもどんどん出てきて、新しいものって終わりがないので、まだこの業界の人が手をつけていないコンテンツやエンタメがあったら、全力で突っ込みたいと思っています。

でもこんな働き方ができるのも、会社が新しいことに積極的で、挑戦しやすい環境だからこそです。「やりすぎ馬鹿」ができるのはAX-ONのおかげだなって。「馬鹿よ来い」って言うくらいの会社だから、アホなことでも何でもできますよね(笑)。新しいことを一緒にやるのに、先輩も後輩もないと思っているので、これから一緒に働くのは、俺を超えるくらいの馬鹿、社長を超えるくらいの馬鹿な人がいいです。

プロフィール

配信

小野有咲

所属部署
ニュース・ライブセンター
クロステック事業部
学部学科・入社年
文学部・2016年

これまでのキャリア

入社1年目 映像事業センター(現・クリエイティブ事業センター)AD業務
入社3年目 コンテンツ事業センターイノベーション事業部AP・デスク
入社6年目 ニュース・ライブセンター クロステック事業部P

AX-ONの志望動機

映像制作のスキルが全くなかったので、制作会社の就活は厳しいと自覚していました。
そのなかで、AX-ONは人材育成に力を入れていたことや、説明会に登壇していた社員の雰囲気が和やかだったことで志望しました。

学生時代のエピソード

塾講師のアルバイト漬けの毎日でした。週6で働いて、深夜までカリキュラムを作っていました。
先日、生徒同士の結婚式に呼ばれて、頑張ってよかったなぁと10年越しにしみじみ実感しました。

◀️ バイトの卒業時に生徒からもらった手紙です

▲ バイトの卒業時に生徒からもらった手紙です

休みの日のすごし方

1人時間が必要なタイプなので、土日のどちらかはひたすら読書をしていることが多いです。
最近趣味のレパートリーを増やそうと水引と羊毛フェルトを始めたのですが、羊毛フェルトは絶望的に才能がないと感じてすぐ辞めました。

◀️ 小説とエッセイが好きです

▲ 小説とエッセイが好きです

インタビュー

黎明期の“地獄”を乗り越え
配信番組のトップランナー目指す

“クラシック限定”の校内放送にJポップ
毎月企画書を出した高校時代

私の原点となっているのが、中学高校で6年間続けた放送委員での経験です。私が通っていた女子校は校則が厳しいことで有名で、お昼の放送に流せる音楽はクラシックだけと決められていました。クラシック以外の曲を流すには、校長先生に企画書を出さないといけないのですが、ビートルズですら低俗だと言われてびっくりしましたね。そんなお昼の放送を変えようと、高校2年で放送委員長になってからは、毎月企画書を書いてJポップを流したり、リクエスト曲を募集したりしました。生徒からも大好評で、「今年の放送はすごく楽しかったです」と感想をもらったのが嬉しくて、この業界を目指すきっかけになりました。

就活でAX-ONのことを知ったのは、実は偶然なんです。別の会社目当てで行った合同説明会にAX-ONも参加していて、そこで初めて知りました。それまではテレビ局や出版社に興味があったのですが、壇上で自分が関わった番組について話すAX-ONの人たちがすごくキラキラしていて、仕事に誇りを持っている姿に惹かれたんです。それで制作会社も楽しそうだなって思って。それから、ほかの制作会社の説明会にも行ったのですが、最初の印象が強くて、結局制作会社はAX-ON1本で受けました。
入社1年目は、ミュージックビデオの制作現場に配属されました。ADとして働いていたのですが、映像制作の経験がない私に先輩たちがひとつひとつ丁寧に優しく教えてくれて、説明会で感じた人の良さを実感しましたね。朝が早い大変な仕事でしたが、それが苦にならないくらい楽しい現場でした。

配信黎明期に番組立ち上げ
知名度低く“キャスティング地獄”に

入社2年目からは、配信の仕事に携わるようになりました。当時は配信の黎明期。部署にベテラン社員が多かったので、若手だった私は“SNSに強いでしょ”と言われて、そんな流れでチームに加わることになりました。自分では頼りにされるほど詳しくないと思っていたのですが、配信に関しては全員素人のような状況だったので、“みんなで勉強しよう!”という雰囲気のなか、すぐに馴染むことができました。

初めに立ち上げたのが、スマートフォン向けの生配信のクイズ番組です。芸能人がクイズを出題して、視聴者が答えて賞金を獲得するというものでした。驚いたのが、小規模で番組制作ができてしまうというところ。スタッフも5人くらいでセットもなく、背景を合成するグリーンバックだけの小さなスタジオで撮影していたんです。テレビでは考えられない規模だったので、衝撃を受けましたね。また、当時は配信番組がまだあまり知られていなかったので、出演者のキャスティングにとても苦労しました。AD業務をしながら、プロデューサーとしての出演者のキャスティングを教えてもらっていたのですが、本当に地獄で…何度も何度も断られました。予算も少ないですし、メリットをどう伝えるかが大変なんです。出演のハードルを下げようと、「仕事の合間の30分だけください!」なんてアピールもしていましたね(笑)。

それからも配信関連の仕事が続いて、現在は「Pococha(※)」というライブ配信アプリに関わっています。Pocochaでは、配信者を「ライバー」と呼んでいて、ライバーさんのドキュメンタリー番組やトーク番組、ミュージックビデオを制作するために、私はプロデューサーとして、ライバーさんとの向き合いやスケジュール管理をしています。オリジナル楽曲を持っているライバーさんも多いので、ドキュメンタリー完成後にワンマンライブに誘われたときは嬉しかったですね。

※「Pococha」 ライバー(配信者)とリスナー(視聴者)が一緒に配信を盛り上げるライブコミュニケーションアプリ。

「記憶力」で番組の雰囲気作りに一役
“この人とだったら頑張れる”を目標に

昔から親や友人に、“記憶力が良いね”と言われてきました。人の顔や名前、誕生日を覚えるのも得意でしたし、AX-ONの面接でも記憶力の良さをゴリ押しして通ったと思っています(笑)。仕事では、小さいところから番組の雰囲気作りに貢献できたらいいなと思って、出演者だけでなく、スタッフの分まで好きな飲み物を覚えて用意しています。プロデューサーは、出演者やマネージャー、クライアント、スタッフとたくさんの人と関わる仕事なので、一緒に仕事をした人を忘れないというのも強みですね。別の現場でお会いした時には、「“今回も”よろしくお願いします」と再会を強調してあいさつしています(笑)。私は仕事をするのに、“この人とだったら頑張れる”というのを基準にするタイプなので、“小野さんの案件だったら頑張ってもいいかな”って思ってもらえるように、記憶力を活かしながら頑張っています。

一緒に働きたいのは、とりあえずやってみようとする人ですね。とりあえずやってみる馬鹿。「これできる?」って聞いたときに、「厳しいです」と断るのではなくて、できる範囲でやってみようとしてくれる人や、代案を考えてくれる人がいいなって思います。AX-ONは年齢関係なく挑戦させてくれる会社で、私も若手のうちからプロデューサー業務を担当させてもらったので、これからも若手には、手を挙げてやりたいことをやってもらえたらいいなと思っています。私が担当する案件を、ディレクターデビューする挑戦の場にしていきたいですね。

プロフィール

スポーツ

内田隆太

所属部署
スポーツセンター スポーツ1部
学部学科・入社年
経済学部・2017年入社

これまでのキャリア

入社1年目
スポーツニュース番組担当として「news zero」や「Going! Sports&News」で生放送のオペレーションを経験。
自分で取材・編集した企画が放送されたことも。
入社2年目以降
中継担当の部署へ異動後、最初の数年は本社業務として、生放送中のテロップ入れなどの中継の基礎を学ぶ。現在は、プロ野球中継やサッカーJリーグ公式映像制作を軸に、様々な競技で中継ディレクターを担当。

これまでの主な担当競技
「バスケットボール(B.LEAGUE)」「駅伝(全国都道府県対抗男子駅伝競走大会)」
「ソフトボール(JD.LEAGUE)」

AX-ONの志望動機

AX-ONを志望したのは、学生時代に経験した高校サッカーの番組に携わりたかったからです。
高校3年時に出場した「全国高校サッカー選手権」は自分にとってかけがえのない思い出です。そんな大会の番組を作れるワクワク感と、自分の経験が活かせることから、この世界に飛び込みました。

学生時代のエピソード

幼稚園から大学までサッカー一筋でした。高校では親元を離れ、たくさんの仲間たちと寮生活をしていました。
切磋琢磨しながら青春の日々を過ごしました!

◀️ 高校時代、プレー中の1枚。

▲ 高校時代、プレー中の1枚。

休みの日のすごし方

先輩に勧められて始めてから、最近はゴルフざんまいです。 去年はゴルフ合宿も敢行しました!楽しかったものの、疲労で結果は散々…
皆さんも趣味等は、ほどほどに楽しむことをおすすめします。

◀️ ️ベストスコアは93!会社の先輩に聞いたりしながら腕を磨いています!

▲ ️ベストスコアは93!会社の先輩に聞いたりしながら腕を磨いています!

インタビュー

高校サッカー出場がきっかけでAX-ONへ
入社1年目に母校のエースを取材
今はサッカー以外の競技でも活躍

「サッカー馬鹿」な青春時代

幼稚園から大学卒業まで、ずっとサッカーをしていました。どれくらい“ずっと”かと言うと、高校で同級生がデートをしていた時も、大学でまわりがサークルの飲み会に行っていた時も、自分にはサッカーをしていた記憶しかありません。今となってはそんな青春もいいなと思っています。後悔はしていないです(笑)。
高校3年生の時には、念願だった全国高校サッカー選手権大会にも出場しました。残念ながら結果は2回戦敗退。試合後、悔しくて泣いてしまったのですが、スタンドにいた仲間が「お前らかっこよかったよ、ありがとう」って泣きながら言ってくれて、自分にはこんなに応援してくれる仲間がいたんだって感動したのを覚えています。“サッカーっていいな”と感じた瞬間はたくさんありますが、この時が一番の思い出になっています。

AX-ONでも「サッカー馬鹿」入社1年目で母校を取材

AX-ONを志望したきっかけも高校サッカーです。高校サッカーの中継や番組に携わりたいと、それ1本でしたね。
入社1年目に初めて通った企画も高校サッカー、それも母校のエースの取材でした。嬉しい反面、ディレクターデビュー作だったので不安もありましたが、OBだからか授業中の様子も撮影させてもらえて。そうしたら古典の授業で密着していた選手が、“得点王になる”という内容の短歌を発表したんです。大会前に放送する企画だったので、そのシーンも盛り込んでVTRにまとめたのですが、大会が始まってみたら、母校が優勝して、さらにはその選手が得点王になったんです。まさに有言実行ですよね。本当に嬉しかったです。

高校サッカーの仕事では、応援リーダーを務めた中村俊輔さんに会えたのもすごく嬉しかったです。子どもの頃から見ていたスーパースターだったので、インタビューの時にめちゃくちゃ緊張したのを覚えています。

入社直後は、ディレクターとしてどんな取材をしたらいいのかわからず、とにかくたくさん取材をして、選手にもいろいろ聞いて…と、必死でしたが、今は選手としての経験を活かして、取材する選手の気持ちに寄り添えるのが自分の強みだと感じています。取材側のエゴとしてはいろいろ聞きたくなる時もありますが、“今は行かない方がいいな”とか、“今は話したくないだろうな”といった雰囲気を汲み取るようにしています。

「サッカー馬鹿」から「スポーツ馬鹿」へ?

現在主に担当しているのは、プロ野球とJリーグの中継です。自分は「サッカー馬鹿」なので、野球に関してはルールも何もわからない、サッカーで例えると「オフサイドって何ですか?」みたいな状態でした。最初はそんな自分に野球中継ができるのかという不安もありましたが、今は、“何とかなる”と感じています。先輩はみんな優しいので、質問したら丁寧に教えてくれます。なので、聞くか聞かないか、やるかやらないかなんだと思っています。

中継ディレクターは自分の指示やスイッチング(ボタン操作)ひとつで、放送される映像が決まる仕事です。自分が選んだ映像を日本中、世界中の人がリアルタイムで見ているというワクワク感がありますが、同時に責任もあります。ですので、中継では特に準備を大切にしています。例えばプロ野球なら、そのチームがどんな戦術なのか過去の試合を見て勉強していますね。シチュエーションごとにどんな作戦があるのかを覚えて、それをどのカメラで撮るべきか考える…、ですが結局準備しても、その通りになることなんてほぼありません。先発が直前に代わるなんてこともありますし。でも臨機応変にその場その場で考えなきゃいけない、生放送ならではのヒリヒリ感も中継の醍醐味ですし、好きですね。

一緒に働きたいのは「気を配れるコミュ力馬鹿」

スポーツ中継は、カメラマンや音声など関わる人がたくさんいるので、自分のやりたいことをしっかり伝えるコミュニケーション能力が必要です。一方で、中継は自分ひとりで作るものではないので、まわりの意見を聞くとか、その場のスタッフの士気を上げることも必要になってきます。ですので、ひとりよがりにならないコミュニケーション能力がすごく大事ですね。
AX-ONはいろんなスポーツの中継を手掛けています。自分の夢はAX-ONを日本一スポーツ中継に強い制作会社すること。どの競技もわかりやすく、そして視聴者が見たいものを届けられたらと思っています。

プロフィール

CM

竹野木綿

所属部署
クリエイティブ事業センター
クリエイティブ2部
学部学科・入社年
経済学部・2012年入社

これまでのキャリア

日本テレビ報道局出向→マルタ島(語学学校)→ロンドン(ワーキングホリデー)→フードテーマパークのPR→デザイン会社→フリー→間寛平アースマラソン事務局→日本テレビ報道局→LIFE VIDEO株式会社→AX-ONクリエイティブ事業センター

AX-ONの志望動機

AX-ONの個人向けドキュメンタリー事業「LIFE VIDEO」の立ち上げに参加したのがきっかけで入社しました。

学生時代のエピソード

アメリカ・カナダ横断旅行など、海外旅行によく行ってました。

◀️ ️マルタの語学学校に通っていた時の写真です

▲ ️マルタの語学学校に通っていた時の写真です

休みの日のすごし方

ソロで参戦するくらい、盆踊りが大好きです!

◀️ 恵比寿の盆踊りに参戦

▲ 恵比寿の盆踊りに参戦

インタビュー

振られた仕事は断らない!?
楽しい直感を信じるエンタメフリーク

イチから教えてもらったCMの仕事

私が所属しているクリエイティブ事業センターは、いろんな経験やスキルを持ったクリエイターの集まりで、ミュージックビデオを作っている人もいれば、CMやミニ番組を作っている人もいます。それぞれが個性を活かして働いている職場なので、私ものびのびと働いていますね。
CMプロデューサーの仕事は、クライアントさんとディレクターの間に入ってそれぞれが求めているものを汲み取る、いわば調整役。クライアントさんの作りたいものや予算があるなかで、海外には行けないからスタジオを借りようとか、セットにはこれくらいのお金をかけようとか、パズルを組み立てるような仕事になります。スタッフのテンションを下げないように、お弁当もおいしいものを用意しようって思っていますね(笑)。今の部署に異動して、イチから教えてもらったCMの仕事ですが、何年も担当させていただいているクライアントさんもいますし、「商品が売れたよ」と言ってもらえるとすごく嬉しいです。

「面白いことにはすぐ飛びつく」
転職回数はAX-ON最多?

今まで面白いと思ったことにはすぐに飛びついてきました。実は転職回数が多く、AX-ONに入る前は、どの仕事も長くて3年くらいで辞めていたんです。
新卒ではいろんな人に会える仕事がしたいと、AX-ONとは別の制作会社に入社しました。日本テレビの報道局に派遣されたのですが、となりが海外ニュースを扱う部署だったので、海外に長期間行きたいという欲が湧いてきて…。イギリスのワーキングホリデーに応募したら受かったので、これはもう行くしかないと仕事を辞めました。でもそのままロンドンに行かずに、マルタに行ったんです。きっかけは雑誌で見たマルタの青い海と空の写真。“絶対行きたい!”と思って調べたら、マルタにも英語の語学学校があったのでワーキングホリデーの前に2、3か月ほど行ってきました。寮のルームメイトと毎日泳いで、めちゃくちゃ楽しかったです。ロンドンでは、現地の会社でインターンや、ベビーシッターもしていました。1年半ほどで帰国した時には、「一応英語ができます」と言えるくらいにはなっていたかと思います。
帰国後は、「英語をできる人探しているの」と、芸人・間寛平さんがマラソンとヨットで地球一周する「アースマラソン」の仕事に声をかけていただいたので、満を持して飛びつきました(笑) 。私は現地スタッフとのやりとりや、ルートやスケジュールの調整、入管手続きなどを担当していたので、現地からいつ連絡がきてもいいように毎日携帯を握りしめながら寝ていましたね。ヨットでアメリカに入国する時は、入管の方に私の英語がちゃんと伝わっているのか、本当に入国できるのか、ヨットの姿を確認できるまでは不安で不安で…、岸壁でヨットの姿が見えた時は感無量でした。

その後はデザイン会社で働いたり、フリーの時期があったり。面白いことに飛びついてばかりで、キャリアアップや自分の将来像をあまり考えずにここまできてしまいましたが、AX-ONに来てからは時間が経つのが早くて、気づいたら12年も経っていました。自分にとってはすごい出来事です。飽きっぽい私がここまで続けられたのは、まわりに助けられながら、いろんな仕事をさせてもらっているからだと思います。最近では、フランス・カンヌで開かれたエンタメコンテンツの見本市「MIPCOM(ミップコム)」にも行ってきました。これからも新しいことがあったら飛びつきたいですし、海外の仕事もしたいですね。

チャンスは逃さない!?
雑談からラグビーW杯の「記録映像」を担当

未経験の仕事もとにかく楽しんでいます。ラグビーが好きで、会社でラグビーワールドカップの話をしていたら、「こんな仕事どう?」ってラグビーワールドカップ2019の記録映像を制作する仕事に声をかけていただいて。もちろん「やりたい!」と引き受けました。
試合ではなく、大会の裏側を残すための記録映像だったので、ボランティアの人や、セキュリティに物販、国内外の観客まで、大会に関わる人たちの奮闘をくまなく撮影しようと、全国の会場をまわりました。今でも思い出すのが、日本がベスト8をかけて臨んだスコットランド戦です。台風の影響で当日まで開催できるかわからなかったのですが、どうにか開催することになって。そんな状況で日本が勝ったんですよ。そうしたらみんながめちゃくちゃ喜んでいるなかで、開催の判断をした組織委員会の人がポロっと涙を流していて、すごくいろんなプレッシャーを抱えて決断をしたんだなと、その涙からいろんなものを背負う責任を感じました。先日、偶然その方にお会いした時に、「終わってからあの映像見てみんなで泣いたよ。うれしかった。ありがとうねー。」と言っていただき、私も泣きそうになっちゃいましたね。

プライベートでも「飛びつき馬鹿」
マイブームは盆踊り

今、盆踊りに行くのがすごく楽しいんです。子どものときは興味なかったので遅咲きではありますが、知人に練習会に誘われたのがきっかけで。“えっ?盆踊りに練習会!?”と驚いたんですけど、練習会も地域ごとに特色があるのがわかって楽しくなっちゃったんですよね。3回くらい通ったら踊れるようになって。今では1人でも盆踊りに行っちゃいます。
ほかにも、6年ほど前からオープンウォーター(⾃然の⽔の中で⾏われる⻑距離⽔泳競技)を始めました。元々水泳は25メートルを泳げる程度だったのですが、大親友にトライアスロンに誘われたのがきっかけで練習をしていたら、どんどん泳げるようになってきて、楽しくなっちゃいましたね。オープンウォーターは外で泳ぐので、息継ぎをした時に空や山が海と一緒に見える開放感が気持ちよくて大好きです。

一緒に働きたいのは「素直な馬鹿」
今後は職場環境のアップデートが目標

一緒に働きたい人は、直感を信じて、自分の気持ちに素直な方でしょうか。まずはやってみよう!って楽しめたらいいですよね。
個人的な目標としては職場環境のアップデートをしたいと思っています。AX-ONには「EVEプロジェクト」という、すべての社員が健康で、能力を存分に発揮できる会社を目指すプロジェクトがあって、私もプロジェクトチームの一員を務めています。また、転職回数の多さを活かせないかと、キャリアコンサルタントの資格も取りました。働く環境は100人いたら100通りの希望があると思うので、少しずつでも叶えられるようにできることからチャレンジしていきたいですね。

プロフィール

アーカイブ

鈴木渓

所属部署
メディアコンテンツセンター
アーカイブ推進部
学部学科・入社年
芸術専門学群 芸術学専攻・
2013年入社

これまでのキャリア

入社1年目 保管庫の管理・テープ出入庫・ダビングを担当
入社2年目 アーカイブセンター窓口で映像貸出・新規入庫対応を担当
入社4年目 アーカイブセンター窓口の現場監督を担当
入社9年目 アーカイブシステム更新・体制刷新にむけた準備の統括を担当
現在    アーカイブシステムや機材の保守管理を担当

AX-ONの志望動機

なんとなく映画やテレビの仕事がしたいくらいの軽い動機でAX-ONの説明会に参加し、そこで初めてアーカイブという職種を知りました。学生時代から昔のテレビ番組を見たり、過去の事件について調べたり、レトロなものをコレクションするのが好きだったので、これは自分のためにある仕事だと確信しました。観るだけでなく作りたい意欲もあったので、「全員クリエイター主義」を掲げるAX-ONに惹かれました。

学生時代のエピソード

美大のなかの一部門で美術史・芸術学を研究するという変わった位置づけの学部でした。アーティストやデザイナー志望の同窓生と交わり、時に一緒に作品制作を行いながら、自分の専攻では過去の作家作品を研究したり、芸術を社会にどう役立てられるかを考えたりしていました。さながら映像制作会社AX-ONの一部門でアーカイブ運営に携わる今の自分の立ち位置と似ていて面白いと思います。

◀ 在学中に参加したグループ展の告知ポスター。
架空の怪人になりきってコスプレしました。

▲ 在学中に参加したグループ展の告知ポスター。
架空の怪人になりきってコスプレしました。

休みの日のすごし方

美術館や博物館に出かけて新旧の作品を鑑賞するのが好きです。古本屋めぐりも好きで、珍しい本を探すのに費やす時間は本を読む時間より長いくらいかもしれません。最近の楽しみは祖父の形見に譲り受けた晩年の日記30年分を読み進めることです。

◀️ 手にしているのが祖父の日記。
テレビ番組の感想が多いので、自分のテレビ好きは遺伝だったようです。

▲ 手にしているのが祖父の日記。
テレビ番組の感想が多いので、自分のテレビ好きは遺伝だったようです。

インタビュー

映像のプロとしてテレビ出演も
映像を未来に残す、アーカイブのスペシャリスト

入社1年目で大発見!
アーカイブの仕事とは?

僕が働いているのは日本テレビのアーカイブセンターというところです。アーカイブセンターは、いわば映像の図書館のようなところで、映像の貸し出しや、システムの維持管理をしています。これまで映像には、ビデオテープやDVDのような“入れ物”がありましたが、今はすべてデータ化し、サーバーを中心に管理しています。そうしたシステム構築を行うのも仕事のひとつです。2024年には大規模なシステム更新を実施し、誰がどこにいてもパソコンから映像を確認できる、最先端のシステムになりました。

アーカイブの仕事は、映像を未来に残すこと。けれど、ただ残すだけではなくて、映像を新しい番組、未来の番組に活かしてこそのアーカイブだと思っています。実は名刺代わりにしている話があって、僕が発掘したある映像が、「news every.」や日本テレビの系列局で取り上げられたことがあるんです。入社1年目のことですが、大正時代の園遊会(※当時は「観菊会」)の映像をダビングしていたところ、招待客のなかに見覚えのある顔をみつけました。映像の概要欄には情報がなかったのですが、若いころのアインシュタインだと確信して調べた結果、現存しないとされていた来日時の映像だとわかったんです。僕がみつけなければ、番組で使われることもなかったので、僕のおかげだぞ!ってちょっと鼻が高くなりましたね。

小学校時代から「レトロ馬鹿」
アーカイブとの出会いは偶然

昔から懐かしいものが好きでした。僕の原点のひとつが、小中学生のころに放送されていた日本テレビの「速報!歌の大辞テン!!」という番組です。最新のヒット曲と、過去のヒット曲を同時に紹介する音楽番組で、当時大好きだったのを覚えています。さらに、古い映画にも興味があって、よくレンタルビデオ店に通っていました。自分では単なる映画好きだと思っていたのですが、大学生にもなると、まわりとはちょっと違うと気づいてきて。例えば好きな映画を友達に紹介しても、全部反応が悪いんです。自分では、「白黒なのがいいのに」「ギャグが通じないのがいいじゃん!」とか思っていたんですけどね。映画から垣間見られる時代感覚も好きで、今の自分では理解できない、70年代、80年代、90年代それぞれの価値観があるのが面白いと思っていました。

就活では、映画やテレビが好きだったので、なんとなく映像業界かなと思ってAX-ONの会社説明会に参加しました。そこでアーカイブの仕事を知って、これはもう僕のための仕事だなって。ほかの会社も受けてはみたのですが、自分としては一本釣りして、一本釣りされたような気分です(笑)。

同期に誘われテレビ出演
AX-ONだからできること

アーカイブの仕事は、ここ数年で大きく変わりました。番組制作に積極的に関わるチームを発足して、お宝映像を発掘する番組やスポーツ中継の歴史を振り返る番組では、過去の映像を捜索したり、企画会議で掘り出し物の映像を提案したりしました。いわばワインソムリエのような役割ですね。今ではアーカイブ担当として、番組のエンドクレジットに名前が載るようになりました。これまでなら考えられなかったことです。

そうした中で、同期の小林哲平から出演者としてテレビに出てほしいと言われて。貴重な映像を見てコメントする、アーカイブ映像に詳しい人として出演しました。番組を見た家族や同僚は、いつもより喋っているとびっくりしていましたね。良い経験ができました。
AX-ONはひとつの会社の中に、ドラマをやっている人やスポーツをやっている人…といろんな分野で働いている人がいて、同期に横のつながりがあるからこそ、僕がテレビに出られたのだと思います。それは本当にAX-ONという会社だからこそできたことですね。

アーカイブは“地図を描く仕事”
一緒に働きたいのは「全部見る馬鹿」

一緒に働きたいのは「全部見る馬鹿」でしょうか。以前、日本テレビのアーカイブセンターにどれくらいの映像があるのか調べてみたことがあります。そうしたら全部で約250万件、約70万時間もの映像があることがわかったんです。例え24時間連続で再生しても80年近くかかるので、全部見ることはできないのですが、あるジャンルに限定すれば全部見られると思っています。実際に、先輩の中には「ボクシングが好きだから、ボクシングの映像は全部見たよ」という人や、「長嶋茂雄の映像なら全部見たから、長嶋茂雄に関する番組だったら俺に声かけてくれ」という人がいます。好きこそ物の上手なれと言うように、範囲を絞れば全部見られるし、それが強みになるんです。僕も戦前・戦中の映像を全部見るというのを進めています。

「全部見る」といえばもうひとつ。インターネットで検索する際、大抵は上位の検索結果しか見ないと思います。でも、検索結果が100件あった場合に、100件全部見ると、また違う結果が手に入ると思うんです。例えば新橋でおいしいラーメンを食べたいときに、ラーメン店を検索して上位の3店舗をチェックすれば、おいしいラーメン店をみつけられると思います。でも、仮に検索結果をすべて確認して、すべてのお店に食べに行ったら、その人は単においしいラーメン店を知っているだけなく、ラーメン店の“地図”を持っているような状態になるわけです。レベルが違いますよね。アーカイブの仕事も同じで、点を見るのではなく、地図を描く仕事なんです。そんな「全部見る馬鹿」がこの仕事に向いていると思います。

アーカイブは直にタレントに会える部署ではないですが、裏を返せば映像の中でなら、過去すべての人に会うことができます。いつかはアーカイブの仕事で得た知見やプロフェッショナルな部分を活かして、新しい番組やコンテンツを作りたいですね。それが僕の野望です。

「馬鹿集合」 世代座談会

採用スローガン「馬鹿集合」時代に入社した若手社員のホンネを深掘り!

プロフィールを見てみよう!

プロフィール

バラエティ

千聖

所属部署
制作センター 制作3部
学部学科・入社年
基幹理工学部・2023年入社

入社してからの仕事

「ぐるナイ」「24時間テレビ」「日テレ系!!生番組の祭典 生デミー賞」「歌唱王~歌唱力日本一決定戦」などの番組に携わり、現在は「ヒルナンデス!」を担当。

AX-ONの志望動機

「会話を生み出すドラマ」を制作したいと思い、AX-ONを志望しました。動画配信やSNSの台頭によって、手元の画面を見つめて過ごす人が増え、人と人との会話が少なくなっている時代だからこそ、ドラマ発信の会話を生み出したいと強く思っています。

自分を「○○馬鹿」で
例えると

距離感馬鹿
私は、身近な先輩後輩だけでなく、とんでもなく立場が上の上司まで、物怖じせずに会話をしに行くことが得意です!
たまに、というかかなり、煙たがられる距離感ですが(笑)。
仲良くなりたい!という愛情表現の一部として、距離感馬鹿で接しています。

学生時代のエピソード

一番印象に残っているのは自主映画の制作です。
プロデューサーとして、主に予算・スケジュール管理やキャスティングをしていました。特に予算集めは、共感してくれる企業を探し、資金をいただく代わりに企業の宣伝や採用活動の手伝いをプランとして提示する大変な作業でしたが、「成し遂げた!」と胸を張って言える出来事でした。

◀️ 自主制作映画の上映会にて(一番左が私です)

▲ 自主制作映画の上映会にて(一番左が私です)

休みの日のすごし方

「ヒルナンデス!」で料理企画を担当してから、料理にハマりました!
休日は必ず、平日も気力があれば料理をしています!最近の一番の成功作は「ナスの肉詰め」です。

◀️ ️美味しくて作りすぎてしまいました

▲ ️美味しくて作りすぎてしまいました

プロフィール

ニュース

歩美

所属部署
ニュース・ライブセンター
ニュース部
学部学科・入社年
国際教養学部・2023年入社

入社してからの仕事

報道番組「真相報道バンキシャ!」のADとして、リサーチをはじめ、国内外での取材、素材の文字起こしなどを担当。時にはカメラを回して一人で取材に行くことも。

AX-ONの志望動機

海外のプロダクションチームと一緒にコンテンツを作り上げる「国際共同制作」や、日本のコンテンツを世界に売り込む「海外番販・フォーマット販売」をやりたい!と思い志望しました。

自分を「○○馬鹿」で
例えると

ドM馬鹿
自分の人生を振り返ってみたら、自ら逆境に飛び込んで、そこで成長していくことに面白みや充実感を感じていました。これからも未知の領域で自分なりの道を開拓していければなと思います!

学生時代のエピソード

エンタメの本場アメリカ・ハリウッドで1か月間映画製作のワークショップに参加しました。一緒に過ごした仲間たちとの時間や、自分で脚本・演出・編集を担当したショートフィルムは私の財産となっています。

◀️ ハリウッドで出会った仲間たちと

▲ ハリウッドで出会った仲間たちと

休みの日のすごし方

月に1回は必ず埼玉の実家へ帰り、3匹の愛犬たちと戯れています。

◀️ ️この日は愛犬たちと一緒にドライブしました

▲ ️この日は愛犬たちと一緒にドライブしました

プロフィール

情報番組

哉太

所属部署
ニュース・ライブセンター
ライブ部
学部学科・入社年
情報コミュニケーション学部・
2022年入社

入社してからの仕事

朝の情報番組「ZIP!」のコーナー「街録ZIP!」のディレクターとして、ネタ決めから、機材の準備、アナウンサーとのロケ、編集などを担当。「ZIP!」では生放送中のカンペ出しやセットチェンジを行うスタジオ班の業務を担当したことも。

AX-ONの志望動機

テレビ番組は、制作会社が中心となって作っていることが多いので、制作会社に入ればテレビという映像制作のど真ん中・最前線で働くことができます。コンテンツ制作の勉強の場として1番良いと思い志望しました。

自分を「○○馬鹿」で
例えると

諦めの悪い馬鹿
どんなことでも、一見くだらないことでも、納得のいくところまでやる。失敗してもめげずに挑戦できる、不恰好でもやる、そんな姿勢を大事にしているからです。

学生時代のエピソード

アルバイトをして、飲み会に行き、旅行に行ったりしていました。ザ・普通の大学生です。素人ながらですが、放送研究会というサークルで体を張っていろんなことを検証する番組を作っていました。

◀️ サークルの「根性を入れ直すために滝に打たれよう」という企画での一コマ。

▲ サークルの「根性を入れ直すために滝に打たれよう」という企画での一コマ。

休みの日のすごし方

ゲーム・漫画・ドラマ・バラエティ・サウナ・温泉に没頭しています。ほとんど家に引き篭もっています。

プロフィール

スポーツ

友亮

所属部署
スポーツセンター スポーツ2部
学部学科・入社年
商学部・2023年入社

入社してからの仕事

「サンデーPUSHスポーツ」という【スポーツ】×【バラエティ】番組でAD業務を担当。アスリートのリサーチやロケ、スタジオ収録のカンペ出しなどを担当。
さらに「24時間テレビ」の中継業務や自転車イベント「GRAND CYCLE TOKYO」でのフロア進行業務、「パリ2024オリンピック特番」業務も。

AX-ONの志望動機

子供達がワクワクするような番組を作りたいと思い、ジャンル問わずコンテンツを制作しているAX-ONでなら達成できると思いエントリーしました。大学時代TikTokで動画制作をしており、そこで子供たちに動画を通して笑ってもらうことにやりがいを感じていました。

自分を「○○馬鹿」で
例えると

「バカ」になれる馬鹿
自分や周りが一歩躊躇してしまうようなことも「バカ」になりきってやり切る力があると思い、書きました。担当番組でも総合演出に「バカ」なふりをして何度も企画を見せに行き、オリジナルTikTok企画を通すことができました。今後も「バカ」になりきって挑戦していきたいと思います。

学生時代のエピソード

大学時代は京都に住んでいたので京都の観光スポットによく行っていました。
その中でも一番私が好きな場所は維新の道を登ったところにある「坂本龍馬のお墓」です。観光客が少なく、静かな雰囲気ですが景色が最高でとても心が落ち着くので落ち込んだ時によく行っていました。

◀️ ハワイの「ダイヤモンドヘッド」からの景色も印象に残っています。
ホテルから約30km歩いてたどり着いたので、より綺麗に感じました。

▲ ハワイの「ダイヤモンドヘッド」からの景色も印象に残っています。
ホテルから約30km歩いてたどり着いたので、より綺麗に感じました。

休みの日のすごし方

休日はゴルフに関することをしていることが多いです。最近は推しのプロゴルファーの試合を観戦しています。実際にもプレーしますが、なかなか思うようなプレーができないので、プロの技を見ている方が今は楽しいです笑。

◀️ ️いつかは仕事でゴルフに携われると嬉しいです

▲ ️いつかは仕事でゴルフに携われると嬉しいです

プロフィール

CM

滉太

所属部署
クリエイティブ事業センター
クリエイティブ2部
学部学科・入社年
文学部・2022年入社

入社してからの仕事

地上波やTVer、各種SNSで流れているCMや、「ZIP!」や「ヒルナンデス!」などの番組とコラボしたインフォマーシャル、PV・MVを担当。

AX-ONの志望動機

趣味として地元で写真カメラを握ることも考えていましたが、大規模な撮影に携わり、勉強したいと思って、エンタメの中心である東京に出ることを決意しました。

自分を「○○馬鹿」で
例えると

直進馬鹿
「直進馬鹿」を目指しています!
自分の信念や軸の向く方へ真っ直ぐ正直に突き進みたいです!

学生時代のエピソード

地元の愛知・常滑の陶芸家さんにアポをとり、日本六古窯である常滑焼ができるまでを密着しました。高齢化や土不足などの問題点もインタビューできたことで、自分の中で撮影することが“自分のため”の行為から、“誰のために”“何を届けたいか”などを考えながら行う行為になりました。
◀️ 作り方を習いながらの撮影でした

▲ 作り方を習いながらの撮影でした

休みの日のすごし方

東京にきてから毎月のように何かしらのライブへ行っています!
僕にとって最高のモチベです。

◀️ ライブには月3回くらい行きます

▲ ライブには月3回くらい行きます

プロフィール

字幕制作

ひより

所属部署
メディアコンテンツセンター
字幕解説放送制作部
学部学科・入社年
文化社会学部・2023年入社

入社してからの仕事

字幕解説放送制作部の運営業務と、番組の字幕放送制作を担当。

AX-ONの志望動機

障がいの有無にかかわらず、みんなが楽しめる空間を提供したいと思ったからです。

自分を「○○馬鹿」で
例えると

やり直しの馬鹿
人からの助言など、いただけるヒントを素直に受けて、何度でもやり直します。
リトライだけで成長してないぞ!という事態が起きないように、少しずつでも自分を更新させていくことを大切にしています。

学生時代のエピソード

メディアを学びたい!という思いから転学部をして、番組制作を学び、ケーブルテレビで放送される15分間の番組を制作していました。そこで得た仲間と諦めない思考は、今の私の支えになっています。

◀️ 友人が制作したドキュメンタリーの取材で、カメラマンを担当しました!

▲ 友人が制作したドキュメンタリーの取材で、カメラマンを担当しました!

休みの日のすごし方

友人と会っておいしいものを食べることが多いです。
散歩など、一人でリフレッシュする時間も大好きです!

◀️ お気に入りのサラダを買って、友人とピクニック。

▲ お気に入りのサラダを買って、友人とピクニック。

“おバカさん”を求めるAX-ONってどんな会社?
採用スローガン「未来を切り開く 馬鹿集合」世代の
若手6人が本音トーク!

採用スローガン「馬鹿集合」をどう思った?

滉太:やばいなと…(一同笑)。親もホームページを見て「え?大丈夫?」ってなりましたけど、読み進めていくと、ちゃんとクリエイティブな会社だとわかって安心しました。

歩美:私も最初は「なんだこの会社!?」って。ほかでは見ないですし。でも、「馬鹿」というマイナスのイメージがある単語を、AX-ONではプラスに、ポジティブに捉えているところに好感が持てました。

ひより:私もテレビってユニークなんだと驚きました。今振り返ってみると、いろんな会社の選考を受けるなかで、AX-ONでは馬鹿が推奨されていたから、一番自分らしく、ありのままで臨めたのかなと思います。

哉太:「馬鹿集合」って言っている時点で、馬鹿馬鹿しくて面白いよね。一気にハードルを下げてくれたというか。

ひより:そうです。このままでいいやって。

友亮:僕は「来たな」って思いました。今言っていたようなユニークな感じが自分に合っている気がして。堅苦しい会社じゃなくて、面白おかしく仕事できる会社っていうのが、「馬鹿集合」を見ただけでわかりました。

哉太:確かに、今フィットしている感じはあるね(笑)。

千聖:私は、テレビってちょっとおかしい人たちの集まりなんだという印象があったので、やっぱり馬鹿じゃないと入れないんだなって(笑)。どうやったら自分を馬鹿に寄せていけるのか考えた気がします。

AX-ONってどんな会社?

歩美:入社1年目で感じたのは、社員一人ひとりと向き合ってくれる会社だなってことです。例えば、企画戦略センターのチューター制度で毎月企画のフィードバックを受けていたので、企画を出すクセがつきました。「馬鹿集合」といいつつ、入ってみたら制度がしっかりしていて、本気でクリエイターを育てたい会社なんだと思いましたね。

ひより:それは本当にそう!AX-ONって入って終わりじゃなくて、入ってからがスタートな感じがすごくしています。「全員クリエイター主義」を掲げていますが、私が担当している字幕放送制作のように、クリエイティブな面があまりなさそうに思える部署でも、みんな企画書を出しているんです。それってやっぱり、入社した時の育成制度が整っていたからだと思います。

千聖:私は上との距離が良い意味ですごく近いなと感じますね。隣に座ったら部長でも誰でも関係なく話しかけてくれるし、私もいろんなことが言える。グチだけじゃなくて提案もしやすいから、自分がやりたいことを実現できる会社なのかなって思います。

友亮:僕もAX-ONは裁量権が大きい会社だなって思います。いろんなことにチャレンジできそうだなって。テレビに限らずいろんなことができるのが魅力です。

哉太:僕は働くうちに、お手本にしたいAX-ONクリエイターがどんどん増えてきました。とにかく仕事が大好きで、担当している番組だけでなく新規事業も手掛けながら、いつもニコニコ笑顔で「仕事楽しい!」って言っている先輩がいるんです。尊敬しています。

滉太:僕も尊敬している先輩がいます。作品が個性的で、見ると自分も楽しくなるんです。仕事に対するスタンスも個性的なんですが、そういうのが受け入れられる部署でもあるので、僕も尖っていきたいなと思っています。

仕事のやりがいは?

歩美:「真相報道バンキシャ!」は、AD1年目でも一人でカメラを回して取材をする事があります。自分が撮影したVTRが放送されたときは嬉しかったです。あとは海外取材ですね。先週、北朝鮮関連の取材で韓国に行ったのですが、海外の場合でも取材って「明日行ってこい!」みたいに急に決まるんです。私はそういうのも楽しんでいます。元々海外事業に興味があったので、若手でも海外の仕事ができる環境は嬉しいですし、“もっと頑張ろう”っていう気持ちになりました。

千聖:私は、「ヒルナンデス!」で自分が担当したVTRを、スタジオで見ている出演者のみなさんが「わあ~!」って盛り上がったり、用意した試食をCM中も食べて「本当においしい!」と言ってくれたりするときに、頑張ってよかったなって感じています。あとは、ファッションの企画で私がモデルとして出演することがあって(笑)。その映像が流れたときに、出演者のひとりが「うちのスタッフじゃん!」って気づいてくれたのが嬉しかったです。

哉太:レギュラーで担当している番組だけでなく、特番などのいろんな番組に関われるのもAX-ONの良いところですし、やりがいがあります。

友亮:一番嬉しかったのは、担当しているスポーツ番組の公式TikTokを立ち上げたことです。キャッチーなオープニング曲やスタジオを活かした投稿をすれば、番組の認知度も上がると思って上司に提案しました。出演者に自分が考えた振付で踊ってもらって、「かわいい!」ってコメントがたくさん来たときはすごく嬉しかったです。

ひより:字幕を必要としている人がいることが、字幕放送の制作をする上で大きな柱になっています。祖母が「笑点」を見て、「ここが面白かったんだよ」って教えてくれた場面に、私が打った字幕が出ていると嬉しくなっちゃいますね。

滉太:僕はCMやミュージックビデオを制作していて、完成した作品をクライアントの方に直接披露する機会があるのですが、目の前で喜んでくれたり、拍手が起きたりすると、やりがいを感じます。特に印象に残っているのが、初めてディレクターとして制作した作品で、見終わった後にクライアントの方から、「じゃあ、次も」って言われたときは嬉しかったです。満足してもらえたんだなって。

テレビが“オワコン”と呼ばれる時代、不安はなかった?

友亮:なんとかなるだろうと思っていました。テレビが“オワコン”と言われていても、しぶとくずっと残るだろうなって。それに、AX-ONってテレビだけに執着していなくて、テレビ以外にも面白いコンテンツを作れると聞いていたので不安はありませんでした。

千聖:私も不安はなかったですね。“オワコン”と言われつつ、私たちがなんとかすれば盛り返していけるし、その先にも行けると思っていたので。

哉太:僕はテレビが“オワコン”だと思っていなかったです。YouTubeやNetflixが出てきて、相対的に下がっただけの話なのかなって。流行っているYouTube動画の中には、テレビ出身の人が手掛けたものもあるので、テレビ番組を作っている人たちは終わっていないし、むしろクオリティーは高いんじゃないかと。AX-ONはイベントでもCMでも映像に関するプロフェッショナルがたくさんいるから、実力がついたらこの会社で新しいことを始めてみてもいいかなって考えていました(笑)。

歩美:私は今だからこそ、世界的なヒットコンテンツを生み出せるチャンスがあると考えています。制作力や技術力、チーム力といった土台があるテレビ業界だからこそ、新しいことに果敢に挑戦できる環境があると思うんです。今は新しいことに前向きで、挑戦するときも背中を押してもらえますが、10年前だったら、新しいことよりテレビに向き合うよう言われていたかもしれないですし、むしろこの時代に入社出来てよかったなって思いますね。

ひより:私はみんなと違って、最初は不安でした。両親も「ずっと働いていけるの?」って心配して。でも通っていた大学の教授に言われた「テレビと他のコンテンツがライバルなわけじゃなくて、一緒に頑張ればいいよね」という言葉が背中を押してくれました。それからは今だからこそ探せる道とか、私たちだからこそ提案できるコンテンツを作りたいというワクワクを感じていました。

滉太:…なんか、みんな考えていたんですね。自分はただただ馬鹿だったんだなと(笑)。

一同:そんなことないよ!(笑)

滉太:僕はテレビっ子で、映像=テレビみたいな感じだったので、不安より、“規模が大きいテレビの世界で映像制作やれるんだ!”という期待の方が強かったです。ただ、“オワコン”って言われるんだったら“オワコン”じゃないものを創りたいですね。

今後叶えたい「おバカ」な夢は?

千聖:プロデューサ-になって、社会派ドラマを作りたいです。例えば「安楽死」のような重いテーマや話題を、身近なものとして考えるきっかけのひとつになるようなドラマが作りたいと思っています。そして、「ドラマと言えば日テレ」、「ドラマと言えばAX-ON」と言われるようになりたいです。

友亮:僕は、「子どもが憧れるようなおバカ」になりたいなと思います。

一同:いいね!

友亮:自分がテレビを見ていた時に、面白い芸人さんって馬鹿だなと思ったけど、憧れもすごくあったので。今の子どもたちがお腹を抱えて笑えるような、「大人って楽しそうだな」と思ってもらえるようなおバカに、映像制作を通してなりたいなと思います。

哉太:僕は総合演出になって、一緒に働いている仲間にも、世間の大人にも子どもにも、「なんてくだらないことをやっているんだ!」と言われるような番組を作ってみたいです。「まあでも面白いからいいか」って思われるような。そして、社内を歩いているときに「またくだらない番組作ったな!」って言われたいです(笑)。“やっちゃいけないようなことを、どうやったら世間に認めてもらえるか”、なんてくだらないことにとことんこだわる「馬鹿」になりたいと思っています。

滉太:僕は映像で人の心を動かしたいと思っています。映像表現や自分のやりたいことをとことん突き詰める人って、まわりから見ると「馬鹿」に見えるかもしれません。でもそういう人こそクリエイティブの世界では輝いて見えるので、そんな「馬鹿」に僕もなりたいですし、例え馬鹿にされても頑張りたいと思います。

歩美:私の野望は、海外を席巻するコンテンツブランドを創ることです。国際共同製作とか、世界に通用するコンテンツを創りたいです。今報道の現場にいるからこそ、人に焦点を当てたドキュメンタリーや、海外のチームと制作するバラエティーを創りたいと考えています。

ひより:将来の夢、というか目標にしていることは「みんなが同じタイミングで笑える番組」を届けることです。私は片耳が難聴なんですが、リアルタイム字幕がちょっと遅れて出てきて、家族と同じタイミングで笑えないことがあります。それって楽しくなくて。みんなが同じタイミングで面白いって思えるような仕組みを作りたいです。

就活生にひと言!

歩美:就活は準備が9割だと思っていたので、大学3年生の時からインターンシップを始めて、エントリーシートも模擬面接もたくさんの人に見てもらいました。年上や社会人の方にもコネクションを広げようと、積極的に出会いに行っていましたね。就活はひとりで抱えるより、人を頼るのも大切だなって。

哉太:大学生ってあまり大人と話さないよね。

歩美:就活時代には、バーテンダーのアルバイトをしていました。いろんな年代のお客さんが来るので、会話も楽しいですし、社会勉強にもなりましたよ。

ひより:私も就活って人に支えてもらうことが多い時期だと思うので、感謝の気持ちを忘れないってことが、すごく大事だなと思います。AX-ONの選考で動画課題があったの覚えていますか?

歩美:自分の好きなことをCMにする課題?

ひより:それ!その動画のデータを、提出前日に飛ばしてしまったんですよ。

一同:えーー!!!

ひより:動画の素材しかなくて、大学の同期に「もう出さない。辞退する」って言ったんですけど…

一同:うわーー!

ひより:だけど、その同期が全部直してくれたんです。私が作っていたのを後ろで見ていたからできるって。その動画を提出したのですが、人事の人には「データを飛ばしました。直してくれたのは私じゃなくて同期です」って素直に言いました。そうしたら意外と印象良く受け止めてくれて、結果的に内定もいただけました。絶対に落ちると思っていたので同期には感謝しかないです。
あとは、チャレンジしないのはやめてほしいなって思います。私自身障がいがあるのですが、面接では隠さずに「耳が片方聞こえないんですけど、(音声を聞いて文字を打つ)字幕放送がやりたいです」と伝えました。無理かもしれないけど、やってみることで未来は変わるかもしれないですよね。

千聖:やらずに終わるのはもったいないよね。私も迷うなら飛び込んでみて、やりたいことに挑戦してほしいなって思います。

哉太:僕には、「負けを知っている人は強い」という持論があります。
勝手なイメージですが、勝ち続けている人って意外と面白くない人が多いなと。就活をしていると、どこかで“負け”を感じることもあるかと思うんですけど、負けをマイナスだと思わずに、悲観しないでもらえたらなと思います。

滉太:僕は、選択肢に迷ったら、自分の気持ちが向いている方に進むのがいいと思っています。
実はAX-ONの内定をもらう前に、公務員の内定をもらっていました。公務員の道に進んだ方が、地元で家族と一緒にいられるし将来も安定していると迷ったのですが、東京でエンターテインメントに関わりたいとAX-ONを選びました。仕事で辛いこともありますが、あの時自分で決断したという強い思いに支えられています。

友亮:僕は後輩によく、就活って“ご縁”でしかないよって話していました。
自分のありのままの姿を受け入れてくれる会社とか、自分のやりたいことを受け入れてくれる会社とか、縁があるところに行けると思うので、ありのままの姿で頑張ってほしいです。

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